2024年7月12日には、いよいよ実写映画化第4弾が公開予定の『キングダム』。
主題歌はONE OK ROCKが書き下ろした楽曲である「Delusion:All」に決定しました。
原作は史実に架空の出来事を織り交ぜながら展開していく物語となっていますが、登場するキャラクター達に実際の人物と違いはあるのでしょうか?
そこで今回は、登場人物の1人である王翦にスポットを当て、『キングダム』と史実での王翦は違うのか?について調べてまとめてみました。
史実上で最強だったのか、また、『キングダム』ではいつ死亡するのかも考察してみたのでぜひ、最後までご覧ください。
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Contents
キングダムと史実で王翦は違う?
ガコンッ
取り出し口から目が合ったワイ「忘れた頃にお前か」
王翦「よろしくニキーwww」 pic.twitter.com/H40byi9NK8
— だんちょー@ロキ (@dancho_ht) June 5, 2024
それでは早速、『キングダム』と史実で王翦は違うのか?について見ていきましょう。
『キングダム』と歴史上の王翦には、ズバリ…違いがある!!
漫画の登場人物である王翦と実際に存在した王翦をそれぞれ調べていくと基本的には同じように感じましたが、一部違いがあることに気が付きました。
それは、以下の点です。
・『キングダム』の王翦 … 危険人物で信頼されない、最優先は自分
・史実上の王翦 … 政からの信頼を得続ける、欲はない(あるように見せた)
このことから私は、2人の王翦には違いがあるなと思いました。
実際にどのように違いがあるのか見ていく前に、まずは史実の王翦と『キングダム』の王翦について、簡単にまとめたのでご紹介します。
その上で改めて、同じ点や違う点を比べてみましょう。
史実上の王翦
・秦の将軍で、息子に王賁がいる。
・戦国四大名将の1人(白起・廉頗・李牧と並ぶ)
・史書には、秦王政の11年に初めて登場する。
秦王政に仕え、趙・楚を滅ぼすなど秦の天下統一に貢献した戦国時代末期を代表する名将の1人です。
政に重用されて来た人物ですが、年老いてからはあまり重用されなくなり、自ら引退し、隠居するまでになりました。
しかし、楚軍に大敗した秦を任せられるのは王翦しかいないという政の判断で戦場に戻り、勝利を収め、秦の中華統一に向けて大きく貢献しました。
防御に徹し、敵の挑発にも乗らず、膠着状態を続けた結果、戦いにならないと帰り始める楚軍に対して、王翦はその機会を待っていましたと言わんばかりに攻めたのです。
籠っている間も兵士には十分な食料と休息を与え、いずれ来る”その時”に向けてコンディションを整えていました。
堅実的で確実に勝てるとわかってから臨むのが王翦の戦いのスタイルだったようです。
戦いへと出発する際に「勝った暁には褒美を」と政にお願いしたり、「約束は本当に守ってもらえるのか?」と度々政のもとに使者を送っては確認していたようです。
元々、欲はそこまでありませんでしたが、政からの信頼を得るため「謀反のことは考えていない」「褒美のことだけを考えている」と思わせるような行動を取り続けたのです。
それは、政は猜疑心が非常に高く、冷酷な人物だと理解していたからこその行動でした。
役立つ人間は大事にする政ですが、そうでない者に対しては功績を残していたとしても少しの疑いで死にまでおいやってしまう人物(実例あり)なのです。
過去に自ら引退を決断したのもこのためだったようで、戦いの場に戻されて秦軍ほぼ全部を任されても、調子に乗らずに政の信頼を取ることを第一に考え過ごしたことで、その後も一切疑われずに王翦は穏やかな老後を送り、天寿を全うすることができたそうです。
『キングダム』の王翦
・秦の武将で、桓騎と共に大将軍・蒙驁の副官を務める。
・息子は王賁だが、滅多に話さない。
・無謀な賭けをせず、負ける戦は絶対に始めない。
・外見:アイマスク状の兜、恐ろしげな形相の顔が装飾された鎧
・得意な戦術:野戦築城や心理操作を織り交ぜた重厚な戦術
王翦は、元六大将軍の1人である胡傷に才能を認められ、昭王の代から活躍していましたが危険人物ということで信頼を得ることができませんでした。
三大天の廉頗からは「白起に匹敵する」、秦国内では「王騎と同等」と評されているほどの人物ですが「自らが王になる」ことを志しているという噂があるため、危険人物と判断されて親戚である王騎よりも低い地位にいたようです。
しかし、武将としての能力は間違いなく最高値であり、得意な戦術から守備戦を任される事が多く、いくつもの戦いを経た戦績から、始皇13年には六大将軍第三将に任命されています。
また、蒙驁の副将であるにも関わらず、自身を守るための行動を最優先したり、有能な敵将を自分の配下へ勧誘しては勢力を強化したりとちゃっかりした姿も窺える人物です。
結論
歴史上での王翦と『キングダム』の王翦について、簡単にまとめてみました。
比べてみたところ、両者には以下のような同じ点と違う点が見受けられました。
まずは、同じ点です。
秦の武将 | 息子:王賁 |
四大名将や六代将軍の1人に選ばれる能力の高さ | |
無理に進まず、脇を固め、確実に勝てるようになってから戦に挑む | |
防護性を高め、いずれ来る”その時”に備えてコンディションを整える |
そして違う点です。
史実の王翦 | 『キングダム』の王翦 |
政からの信頼を得続ける | 危険人物で信頼されない |
欲はない(あるように見せた) | 最優先は自分 |
1番の違いは、信頼を得るための行動と自分が最優先の行動を取るところです。
史実の王翦は、何よりも政からの信頼を得続けるために本心を伏せて、考えを巡らせては行動に移していました。
その本心とは違った行動をしたことで何を考えているのかわからない人物と捉えたり、褒美に熱があるように何度も政に確認した点を自分本位の利己的な行動と置き換えたのが『キングダム』の王翦のような気がします。
強かに生きていたからこそ、物語では危険人物というキャラクターにされているのではないでしょうか?
しかし、名将であったり、勝てる戦とわかってから挑むという点などは同じなので今回のまとめでは一部違うという表現にしました。
キングダムの王翦は史実では最強だった?
ここからは、『キングダム』に登場する王翦というキャラクターが史実上において最強だったのかどうかをご紹介したいと思います。
『キングダム』に出てくる王翦はズバリ…史実上で最強の存在だった!!
調べを進めると歴史上の王翦は、最強と言っても間違いないという結論に辿りつきました。
最強といっても歴史上全体なのか?メインで活躍した時代なのか?など、どの範囲にするのかでも変わってくると思うので、今回は王翦がメインで活躍した時代に的を絞って考えました。
それでは、王翦が史実上で最強の存在だったと思う理由についてご紹介します。
・戦国四大名将の1人(白起・廉頗・李牧と並ぶ)
・誰もできなかった難攻不落の城を落とす。
最強の存在だったと思う理由について、1つずつ詳しく見ていきましょう。
理由①:戦国四大名将の1人
王翦は、白起・廉頗・李牧と並ぶ戦国四大名将の1人に名前が挙げられています。
名前が挙げられるということはそれだけの功績を残している人物だということです。
白起と廉頗は1つ前の時代である昭王の時代の人物ですが、李牧とはほぼ同じ時代の人物です。
とても頭の切れる李牧がいることで、秦軍は趙軍を倒せずにいましたし、過去には李牧の存在があったことで秦が大敗を喫したこともありました。
趙攻略戦では秦の手回しにより、李牧が戦いから遠退いたことに加え、王翦が軍を率いたことで趙は滅亡しました。
李牧と王翦の直接的な戦いこそなかったようですが、どちらも知識の面ではとても戦の才能がある武将です。
老いているから…と一時は隠居までした年齢のようなので武術でのダイレクトな戦いは難しいかもしれない王翦ですが、秦軍からとても恐れられている李牧と名前が並んでいるのは、最強を語る上では外せない理由だと思います。
理由②:前人未踏の難攻不落城の崩落
王翦は、誰もが成し遂げることができなかった難攻不落の城を崩落させたという功績があります。
王翦より前の将軍達が攻めても失敗したと言われる城の崩落は、約400年後に曹操が攻めるも落ちなかったとも言われているようです。
秦が中華統一に向けて進んでいくのに大事な場所だった趙の鄴。
桓齮や楊端和と共に他の城も攻めて落としていきますが、最終的には全体の5分の1という精鋭だけを集めた部隊で今まで落とせなかった城を落としたそうです。
王翦の働きで趙の鄴を突破したことで、その後の統一戦争が上手くいったのでは?とも言われています。
とても重要な役割を果たした上に、右に出るものがいなかったことから最強といってもよいのではないでしょうか?
結論
『キングダム』に登場する王翦というキャラクターが史実上において最強だったのか?についてのまとめです。
・戦国四大名将の1人(白起・廉頗・李牧と並ぶ)
・誰もできなかった難攻不落の城を落とす。
以上の点から史実上の王翦は最強といってもいい!という結論に至りました。
李牧と直接戦っていたらどうなっていたのか…も気になるところですが、年老いて引退したのにも関わらず、秦王政がわざわざ呼び戻したという点でも王翦が中華統一に向けて欠かせない存在だったことがわかりますね!
キングダムの王翦はいつ死亡する?
ここからは、『キングダム』の王翦は作中でいつ死亡するのか?について考察してまとめたものをご紹介したいと思います。
私の予想は、ズバリ…史実と同時期だが明確には描かれない。
理由は、歴史上での王翦の死没が不明だからです。
周りの国を全て滅亡させた秦国が中華を統一した後、王翦は本格的に隠居しますが、そのまま穏やかなシーンが描かれるだけで死に直結した場面は描かれないと予想します。
史実を踏まえた上での予想について詳しくご紹介します。
史実上での王翦の死
史実では、王翦がいつ死んだのかは明確になっていませんでした。
また出生についても同様に不明だったので、大まかな年齢についてもわかりませんでした。
出生 | 始皇11年に史実に登場(この時点で若くはない) |
死没 | 天寿を全うしたという記載のみ。 |
歴史上において紀元前236年に登場し、楊端和と桓齮と戦いを共にしてきた王翦はこの時点で既に若くはないようでした。
10年後の紀元前226年には自らの判断で将軍職を引退し、隠居していますがこれは秦王政に重用されなくなったためでした。
政に老衰を理由に使われなくなった…という点から王翦が史実に登場したときの年齢は当時かなり上だったのだと思われます。
古代中国人の平均寿命は30~40だったと言われているようです。
しかし、秦の後の漢の時代には孔子が73歳、孟子が84歳を始めとする偉人達がとても長く生存していたようです。
当時にしてはかなり長生きしてるように感じますよね。
秦王政も数え年50歳で亡くなっているようなので王翦もそれくらい、もしくはそれ以上の年齢であったのでは?と考えられます。
また、息子の王賁も孫の王離も出生・死没共に不明でしたが、王離は政とその次の代まで務めを果たしていたことや二世が即位したときには既に王翦も王賁も死んだとされていたことがわかりました。(紀元前210年という記録のみ)
秦が中華統一を成し遂げたときにはまだ生存していたようなので、紀元前221年~紀元前210年の間に王翦は亡くなったことになりますが、その記載は天寿を全うしたのみで詳細については不明となっています。
『キングダム』での王翦の死の予想
『キングダム』ではこの後、秦の中華統一戦争の一部である攻略戦に突入していきます。
史実の王翦が天寿を全うしたのは秦が中華を統一してから(紀元前221年以降)であり、また、二世の即位時には亡くなっていたとされています(紀元前210年)。
つまり、この11年の間に王翦は生涯を終えたことになります。
政が亡くなったとされているのは紀元前210年9月10日(数え年50歳で旅の途中に急死)でその後、次の王が即位しているので王翦は政の死には立ち会っていないことになります。
政は、王翦の死に立ち会ったのでしょうか…?
架空の話も織り交ぜながら描かれる『キングダム』ですが、基本的には史実同様に物語は進んでいる気がします。
王翦の死についても同じようなことが言えるのではないでしょうか?
なので統一後、王翦は本格的に隠居し、戦場や王の元からは離れて送る穏やかな生活シーンが描かれるだけで死に直結した場面は描かれないと予想します。
まとめ
今回、『キングダム』と史実での王翦は違うのか?について調べてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
史実上で最強だったのか、また、『キングダム』ではいつ死亡するのかも併せて考察してみました。
『キングダム』と史実上で王翦には、一部違いがありました。
また、歴史において王翦は最強といっても過言ではない存在で、秦の中華統一に向けてとても大きな貢献をしていました。
しかし、出生はおろか死没時期は不明だったのでいずれ訪れるであろう『キングダム』の王翦の死は、直接的には描かれないと予想しました。
ここまで王翦にスポットを当てて調べを進めてきましたが、表記や調べた内容などに間違いがありましたら申し訳ありません…。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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